Butchの140字じゃ収まらないっ!β版

何も起こらない人生で何をしていくか。

ヒーローとは何者か〜捉え方編〜

 

どうも、優柔不断なButchです。

 

今回は、ヒーローって誰が決めるのかについて話します。

 

自分が思えば?他人が思えば?

 

❝ヒーロー❞って、自分がそう思えばヒーローなのでしょうか。

それとも誰かがその姿や振る舞いを見て、❝ヒーロー❞だと感じるからこそ

❝ヒーロー❞なのでしょうか

 

どっちも噛み合うのが一番だと思うけど、私個人としては、後者が一番大事だと考えています。

 

誰かが見てるからヒーローは生まれる

 

結局のところ、ヒーローになるって、結局は助けられた誰かがその誰彼に対してその時のその行動を❝ヒーロー❞として捉えたかどうかだと思うし、その行動が側から見たらヒーローと称賛されるものでも救われた本人がそう思わなければヒーローではないのかもしれません。そう考えると❝ヒーロー❞って思われるのは中々に難しく儚い夢のようなものだと思います。

 

逆に自分が「❝ヒーロー❞である」と思うことはそう思い、行動することで叶います。

自己満足かもしれないがその行動で救われる人もいるはずです。

 

でも、結局のところ...

 

この双方の想いが交わる時にヒーロー譚が始まるのがお決まりのストーリーなのでしょうが、そんな簡単な話はアニメですらネタになってしまう程に単純すぎるように思います。

 

今回のテーマに関しては、個人の見解になってしまう場合が強そうなので、あまり鵜呑みにしないで読者の皆様にも考えて欲しいです。

 

ヒーローと決めるのは助けた側なのか、それとも助けられた側なのか。はたまた、他の第三者なのか。

 

次で最後になります。

 

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ヒーローとは何者か〜正義とヒーロー〜

 

どうも「正義とは?」とふと考えてしまうButchです。

 

正義のヒーロー?

 

よく巷では特撮作品の❝ヒーロー❞正義❞の❝ヒーローと呼ぶことをよく耳や目にする機会が多々あります。MCUとか海外作品ではどうなのかわかりませんが、日本ではよく❝ヒーロー❞の前に「正義」をつけて総称することがありますが、そもそも❝ヒーロー❞という存在を正義という枠に括っていいのかは甚だ疑問でもあります

 

 

正義の本質

 

なぜなら、正義❞には善も悪もないと考えるようになったからです。

これ、確か絶対零度ってドラマでのセリフだった記憶があります(言ってしまうと、受け売りではありますが…)。しかし、当時の私はこれにかなり共感しました

 

 

正義に関しては、❝ヒーロー❞も悪党もどちらも持っているケースがあり、最近の特撮作品でよくありがちだったりしています。正義をどう判断するかを読者に委ねられることもよくあるし、中々判断し難いケースもあってよく困惑することもしばしばです。

 

 

正義なら良い事なのか

 

そもそも、

正義良い行い」って構図は必ずしも成立しないと思います。だからこそ、正義とは別として、しっかりと❝ヒーロー❞という存在を自分自身の言葉で表現したいという気持ちからその定義づけを最初に行ったのも理由の一つであります。

 

 

つまり、正義ヒーローは同じようで実は違うということです。

 

 

「正義のヒーロー」という言葉が世の中に蔓延しているからこそ、正義とは何なのかを今一度考える価値があるのではないのでしょうか。

 

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ヒーローとは何者か〜ヒーローと悪党〜

 

どうも意外と悪い奴も好きなButchです。

 

今回はヒーローと対峙する存在である悪党について話していきます。

 

悪党の存在

 

今まではヒーローとは何たるかを自分が見てきた数々の作品を通して、まとめてきました。しかし、ある所にありです。必ず対抗する存在、つまり悪党が登場するのがお決まりです。その悪党は時にヒーローに匹敵する力で襲い掛かり、苦しめる事がしばしばです。

 

悪党とは何者なのか

 

では、そんな似たり寄ったりな双方の違いとは何なのでしょうか?

 

それは❝ヒーロー❞が自分を犠牲にしてでも誰かを守る者であるとするのに対して、

 

悪党誰かを犠牲にして自分の理想を叶えようとする者。であると考えます。

 

大抵、この対峙が❝ヒーロー❞作品通して双方が争う所以のようにも見て取れます。

 

ヒーローも悪党に悪党もヒーローに!?

 

ここで重要な事

どちらも、❝誰だって❞なりうるという事にあります。

 

なぜなら、自分の中で❝ヒーロー❞❝悪党❞「ある」というより「なる」という感覚が強くあるからです。いつだって❝ヒーロー❞で「ある」わけではなく、とあるその時点で❝ヒーロー❞に「なる」というのが自分の考えです。言い換えれば、「❝ヒーロー❞になる」とは、「その一時のみ❝ヒーロー❞であった」と私は考えています。そして、これは❝悪党❞になるということでも同様のことが言えます

 

つまり、誰しもヒーローにも悪党にも変身できてしまうのです

 

たとえ、どんなに自分を犠牲に誰かを助けてきた❝ヒーロー❞も、誰かを犠牲にして自分の理想を叶えようとすれば、それはもう❝悪党❞でしかない。もちろん、前にもブログで書いた通り、その逆もまた然りです。よく❝ヒーロー❞を題材にする漫画やアニメでここら辺をうまい具合に混ぜてる作品を見るたびに、正にこれだ!と実感します。

 

どんなに勇敢なヒーローだって、残忍な悪党に変身してしまうのです。

それは反対に残忍な悪党だって、勇敢な❝ヒーロー❞になる時があるのです。

 

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ヒーローとは何者か〜ヒーローとして生きる〜

 

❝ヒーロー❞について長々と書いている割にになれないButchです。

 

今回はヒーローとして生きる事について話します。

 

ヒーローへのあこがれ

 

❝ヒーロー❞になりたい!や悪い奴を倒したい!などと子供ながらに思った記憶が多々あります。いや、時々そんなことをふと思うこともあります。

手足からの光線技多彩な特殊能力を自在に操る❝ヒーロー❞に、ドラマなんかでよくあるようにそんな力が皆無でも今にもトラックに轢かれそうな人を身を呈して助ける等々を❝ヒーロー❞好きなら誰しも思うのではないでしょうか

 

私はそんなヒーローに憧れることがあります。

 

ですが、それはヒーローの一側面でしかありません

 

戦いたくないヒーローだっているかも

 

❝ヒーロー❞だって、戦いたくて戦ってるわけではない可能性だってあります。

戦えば傷つくことだってあるし、負けることだってあるかもしれません。また、常に強くなくては勝てない強敵だって現れてくることでしょう。さらには戦えば戦う程、大切な仲間や家族に矛先が向けられて、最悪の場合、それらを失う結果になってしまう事だってあるかもしれない。

 

できることなら、❝ヒーロー❞だって、普通の人のように笑顔で幸せな日々を過ごしたいはずです。しかし、そうとはいかないのが❝ヒーロー❞の性でもあります

 

結局、ヒーローでいるって...

 

何が言いたいのかというと、

ヒーローとして生きるって

かなりキツいし、辛いはずだ!ということです。

 

こんな自分のような生半可にカッコいいとか強いとかだけで済む話ではない。常に恐怖や不安といった様々な負の感情と向き合わなければならないからです。悪党だけでなく、そのような自分自身もまた強大な敵なんだと思います。

 

それでも❝ヒーロー❞になるってことはそれだけの悲しく暗いまたは悔しい過去や経験、生き方、その人なりの考えがあるからだと思います。

 

ヒーローだって1人の人間

たとえどれほど強大な力を持っていてもです。

 

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ヒーローとは何者なのか?~ヒーローと立場~

 

どうも、立場なら凡人のButchです。

 

今回はヒーローであることに立場や属性は関係あるのか?について書いていきます。

 

ヒーローのイメージ

 

まず、皆さんは❝ヒーロー❞の人柄や立場についてどんなものをイメージしますか?

 

高校生、会社の社長、何処かの王子様、改造人間etc…あると思います。

 

特に正義感が強く、平和のために戦う者という印象がありそうです。

こんなこと考えるまでは私もそう考えていたのは否めません。

 

ヒーローにイメージは必要か?

 

しかし、ここではっきり言いたい。

(個人的には)そんなことは関係ない

どんな人でもヒーローになれる。

 

今挙げた意外にも

億万長者、一般人、前科者、極悪非道人だろうが、ヒーローになれる。

 

前にも言ったようにヒーローとは自分を犠牲にして誰かのために戦う者のことです。その行い、立ち振る舞いをした者の過去の経歴や罪でヒーローかどうかを判断されるなんておかしいと私は思います。

 

どんなに残虐なことをした者でも自分を犠牲にして誰かを助けたり、守ったりすることは❝ヒーロー❞として称賛されるべきことです。勿論、誤解のないように申し上げると、過去の残虐な出来事と❝ヒーロー❞としての活躍について分けて考える必要はあります

 

つまり、個人的なヒーローの定義に悪人も善人も無いと思っています。なぜなら、誰かを助けたい、護ったという事実こそがヒーローとして称賛されるべき行いだと思うからです。

 

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ヒーローとは何者なのか?~ヒーローとパワー②~

 

どうも、力こそ正義?なButchです。

 

前回まではヒーロー力(パワー)について話しました。

 

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今回は優れた力があってこその❝ヒーロー❞なのか?について話します。

 

ヒーローは優れた力をどう使うかで決まる!

 

前回も言ったように力とは手段でしかなく、

その手段をどう使うかが❝ヒーロー❞か否かを決めるのだと私は思っています。 

たとえ強靭な肉体や巨人に変身できたとしても、そこに何かを守ることや誰かを救うことといった想いが伴わなっていないなら、私は❝ヒーロー❞だと思えません。

 

そもそも優れた力がないとヒーローじゃないのか?

とは、必ずしも並外れていて、優れている必要があるのでしょうか?

 

そんなことは決してない!と思います。

なぜなら、自分の大切なモノや困ってる誰かを守るために自分の出せる最大限の力でもってベストを尽くすのがヒーロー❞だと思うからです。

 

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ヒーローとは何者なのか?~ヒーローとパワー~

 

どうも、❝ヒーロー❞について語るButchです。

 

前回はヒーロー❞って何だという問いに対して「力の優劣や立場・属性に限らず、自分を犠牲にしてでも誰かのために戦う者」と書きました。

 

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今回はヒーローに欠かせない力(パワー)についてです。

 

力(パワー)という手段

 

特撮作品や漫画、アニメ等での❝ヒーロー❞には特殊能力や変身能力、必殺技といった力が備わっていることが多いです。そして、その力こそが❝ヒーロー❞の最も重要とされる要素だと私も以前までは思っていました。

 

手から放たれる光線や迫力ある飛び蹴り、縦横無尽に空を飛び回り敵を追いかける等々といった力は間違いなく❝ヒーロー❞の象徴と言えるし、否定する余地もないです。

 

しかし、私は思いました。

「それの力というのは、手段に過ぎないじゃないか」と。

 

何の為の力(パワー)なのか

 

ヒーローと呼ばれる者たちは何のためにそれを使うのか?

 

それは紛れもなく、大切な何かを守る為だと私は思います。

大切な人でも、平穏な日常でも、とにかく守りたい何かのためにその力を発揮する

決してヒーローの力は誰かを苦しめたり、傷つけるための手段ではないはずです。

 

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